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高野 誠 Makoto Takano

今まで30代半ば過ぎからの過去しか、殆ど皆さんにお話してきませんでした。

その理由としては、どこか恥ずかしさや負い目というものが少なからず

あったのだと思います。

今回を機にどんどん過去の自分をさらけ出そうと

思います。

どんどんさらけ出して順風満帆だったわけではない、皆さんが思うような

自分はパーフェクトな人間ではないということを

知ってほしいと思います。

そして、人生いくらでもやり直せるんだという勇気を与えればと思います!

 

40歳脱サラ後に大きな大きな自分にとっての

転機がありました。

多額の借金。

 

この脱サラ後の過去は後々

お伝えしていきます。

【今まで明かしてなかった秘密】

 

今回初めて皆さんにお話するのは、20代前半から30代半ばまでの過去です。

 

札幌の専門学校を何とか卒業してフリーターとして自由気ままに過ごしていた自分にある日突然、
大きな大きな借金が出来ました。

青天の霹靂とはまさにこのことです。


身体が弱い父親が何とか家族をと思い、安易に儲け話にのかってしまい何と

5000万の借金です。

父親が作った借金ですが、身体が弱い父は返済能力がなく自分以外は母のパート代のみでした。

兄もいましたが、兄は実家を一切顧みない自分の家族だけにしか興味がない当時は軽蔑する兄でした。
(今となっては仲も良くなりましたが)


そこからです。

 


毎月毎月、30万〜40万の返済が始まりました。

 

当時は投資という概念はなく、時給がいい仕事やバイトを長時間働く、何個も掛け持ちをするという
ことぐらいでしか纏まったお金を毎月作ることができませんでした。

 


正直、20代前半の自分には毎月のこの返済が重たくのし掛かり、この先何年も返済し続けなくては
いけないと思うと全てが嫌になり、いっその事死んでしまおうかというのも考えたこともあります。


友達に遊びに誘われてもバイトや仕事がある。

飲み会などがあってもそもそもお金がかかるから行くのをやめた。

好きだった彼女とも結局はお金がなく何もしてあげれずに、一緒に過ごす時間もままにならずに
最後はフラれる。

 


それもそのはず、30万〜40万のお金は遊んでる時間や寝る時間をも費やさないと稼ぎ出せないのです。


そのうち、あいつを誘っても雰囲気が暗くなるだけ、しらけるという理由で誘われもしなくなり、

友達も段々と離れていきました。

 

自分のお金なんて一切ありませんでした。


バイト先は必ず賄いや食事代が出るとこでしか働きませんでした。


食費も遊ぶお金も全て返済に充てる為、家では、白ごはんにマヨネーズをかけて
そればかり食べてました。


こんな仕事をたくさんしました。

・居酒屋・焼肉店・クラブ・キャバクラ・BAR・ホテルフロント・清掃業
・ラーメン屋・お弁当屋・レストランのキッチン・焼き鳥屋

などあげればキリがないぐらい働きまくるしかなかったんです。


その辛い辛い日々の繰り返しが30代半ばまで続いたんです。


30代半ばで、やっと5000万の借金を返済することができました!14〜15年かかりました。

 

そして晴れて何も背負うものがなくなったので、皆さんご存知のように自分の将来を考えて

FXを始めていったんですね。


今までこんな過去を伝えるのが恥ずかしくて恥ずかしくて・・・。

 

先日、ある人から


「高野さんは良いよな、全てが順風満帆で」

「それに比べて俺なんか苦労ばっかりですよ!」

と言われたんですね。


その時は
「そんなことないですよ!」

「自分も今まで色々あったんですよ」

とは伝えたんですが、詳しい内容までは伝えなかったんですけどね。


もしかしたら、その人もこちらの記事を観て納得してくれるんじゃないかな、ちょっとでも勇気が
湧いてくるんじゃんかなと思っています。


今回初めて、若かりし頃の過去の自分のお話をしましたがいかかでしたか??


ちょっとでも皆さんに勇気や活力を与えれたら嬉しいです!

 


また、高野も色んな苦労を重ねてきた普通の人間なんだと思ってもらえたら最高に嬉しいです✋️

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